平坦化する日本国民(雑感)

 日本は信じられない位に社会性民主主義に突入している。とはいえ、北欧に比べればまだまだとは言えなくもないが、「名家=金持ち」という構図は驚く程に崩壊している。これは世界中を見渡しても日本特有の現象である。

そんな日本も昭和40年以前までは戦前からの階級社会を引きずっていた。その頃の雰囲気はドラマを見ればある程度理解できる。金持ちと一般人の生活水準の差がすさまじく、まさに金持ちは大きな庭園が出来そうな大豪邸に住んで、その娘は深窓の令嬢と言わんばかりの生活をおくっていた。一方、街にはスラムを点在するだけでなく、一般人でさえ質素な家に住んでいた。高度成長期は こういった中下層階級の人々が1億総中流の政策の下に飛躍した時代であり、それが国全体に明るさにもなっていた。

 しかし、バブル経済が終わる90年代頃になると、戦前からの名家は世代が代わりとともに思い相続税に耐えきれず本当の意味で一般市民に下野する。そうしているうちに旧大名家、旧財閥、旧華族などが軒を連ねる住宅街も都市開発という名のもとにどんどん消え去っていく。さらにそれが2代、3代と続いていくうちに、名家ではない国会議員や大企業役員等は一般人と同じようなマンションに住み、財力も一般人とさほど変わらなくなってくる。  

 韓流ドラマを筆頭にアジア諸国のドラマには、とんでもない金持ちと一般人の恋愛ものが多い。それは裏を返せばそれだけの格差社会であることの裏返しである。日本においては、そんなドラマは現実離れしてしまう。それは日本人の心の中にそこまでの格差は横たわっていないという暗黙の了解があるからである。

 

 とはいえ、日本の街のはまだまだ豪邸が点在している。それは次の階級である地主、医者、ほどほどの規模企業経営者の家であることが多い。これもご子息に資産管理能力がなければ相続の度に資産を大きく目減りすることを繰り替えしてしまう。

 戦後、田園調布や成城などの高級住宅地を電鉄会社は造成した。一時は栄華を極めたが、現在においては空き屋が目立っている。

 この理由は、ご子息がこれら高級住宅を維持するだけの財力が乏しいことが理由あること。ベンチャー企業の経営者などの新鋭の富裕層はこういった高級住宅街を選ばずに都心のタワーマンションなどの億ションを好むようになったことで、郊外の高級住宅地は大小にかかわらず地盤沈下を起こしてしまったのである。

 

 そして次の層は、高度成長期に世田谷や杉並などの今となっては東京の一等地を比較てき安い価格で比較的に広い区画を購入できた層である。こういった人たちはバブル経済ごろには資産額が数百倍に膨れ上がって富裕層の仲間入りをしている。しかし、ご子息の頃になると相続税に支払いのため家の半分を売る例や、二世帯又は3世帯住宅という例もいとまがない。そして大が変わるごとに家の広さはどんどん狭くなっている。

 そういった点では、日本の富は平たん化している。資本主義においては個人の才能による富の剥奪はできないが、その富はせいぜい子供までしか恩恵は届かなくなった。

 日本は資本主義国家であるが、世代間でいえばその富は国に返還するような仕組みが出来上がっている。これは社会主義国家以上の社会主義国家であるようにすら感じてしまう。

 

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